ボブ・ディラン
ボブ・ディランはいろいろと伝説化されているし、ほんとにそんなにすごい人なのか、と疑問に思う人ももしかたらいるかもしれない。そのへんのヒット曲しか聞いてこなかった人たちや音楽わかんない人はのけておいて、こんだけ有名だといくらか差し引いて勘定しておきたくなるのが人間というもの。ま、それでもよござんすよ、あなたがまだボブ・ディランを聞いてないのなら。あなたはこれからディランに出会う機会が何度もあるわけだからね。でも、ちょっと言わせてくれてもいいじゃないの。
プロになって歌を歌っている人はみんなむちゃくちゃうまくって、それこそカラオケがうまいとかの程度とは違う次元をもっているよね。歌の世界に生きることができる能力とでもいうべきものを持っているのがプロなの。プロが歌ってる瞬間って、そこに歌と歌い手しかいない、と言えばわかってもらえるだろーか。美空ひばりなんかは歌いながら自然と涙を流す人でしたね。
ま、それはいいとして……ええと、あれは99年のウッドストックだったかな。あれってレッチリとかすごいアーティストたちがいっぱいでてたんだよね。んで、ディランも出てたのよね。テレビで見てました。中継だったかもしれない。んで、ディランがステージに出てきて歌い始めたときのことはっきり覚えてますね。その存在感の強さをはっきり感じたの。あれだけすごい人たちがいっぱい出てたのに、ディランのそれはひときわ際だっていたんだよね。ま、そのときにニール・ヤングやブルース・スプリングスティーンがでてても同じようなこと思ったかもしれん。にしても、やっぱりディランのカリスマ性というのはすごいなあと思ったんです。こんだけやってきてて、まだオーラ出しまくっているんだもんね。いま現役バリバ� �の人にぜんぜん負けないくらいの。
そのディランの強さの秘密の一つは、彼がずっと変化しつづけようとしていることがあげられるよね。同じ曲を同じアレンジで歌うことはほとんどないよね。まあこれはバックバンドが変わるのに合わせて変えているのかもしれない。これだけ有名な曲をもっていると、ずっと同じ調子で歌いたくなるなるかもしれないけど、ディランはすごく柔軟で、どんどん歌い方もアレンジも変えていくんだよね。ライブバンドなら、スタジオテイクとライブテイクが違うってのはまあよくあることなんだけど、ディランは一人だけどライブバンド作ってやってるんだよね。このへん、ポップバンドばっかりの日本ではなじみのないやり方なんだよなあ。実際、ロックは日本に定着さえしていないと思うし……
あと、たまにいるのがディランの曲は好きだけど、ディランの歌い方は嫌いっていうタイプ。まあ、これは好みなのでどうしようもないけど、やはり日本のポップスになれすぎているんじゃないかな、そうゆう人は。私ははじめてディラン聞いたとき、一曲の中で繰り返されるリフレインでも、毎回引き延ばし方とか歌い方をできるだけ変えて歌う彼の独特の唱方にびっくりしたもんです。普通ありえないよね、こんな変な歌い方。でもこれが強烈なんだな。to be stuck inside of mobile with the memphis blues againのところなんて、毎回アクセントずらして、さらっというところと母音ひきのばすところも違うし、聞く度に面白くて仕方がない。とくに初期のディランは膨大な語彙数の曲を歌うから、メロディーを自由に動かして単語の歌い方を変えられるんだよね。それにラップの元祖と言われるだけあって、異常な高速で歌詞をはきだすのは聞いていてぞくそくする。「ライク・ア・ローリング・ストーン」なんてカラオケに入ってるけど、あんな難しい早口の曲をちゃんと歌える人なんているんだろうか。
あと、ディランの歌詞は大学での研究対象となるほど文学的だけど、これほど密度のある歌詞を書く人はやっぱりほかにほとんどいないと思う。ブルース・スプリングスティーンやレナード・コーエンとかが匹敵するくらい。windowsmedia.comのボブ・ディランのページでは、「ボブ・ディランのポピュラー・ミュージックへの影響は計算不可能だ」と書いてあるけど、ディランの影響の大半はこの歌詞の文学性によるものだと思うんです。文学の音楽への導入ってことは本質的なことで、これによって今までラブソングばっかりだったのが、もっと個人的なことを歌ってもいいってことになって、いろんな人が音楽をやるようになったし、音楽が人に果たす役割も増えた。確かに60年代は音楽がその深さにおいて文学にとってかわっていた時� ��だった。ほかにも、ディランはいろんなジャンルの創始者でもあるのだけど、アメリカのルーツミュージックを現代の音楽へとよみがえらす手助けをしたことなどにも大きな功績があった。ディランはアメリカンミュージックの偉大な後継者の一人であると思う。
正直なところ、その多産性や名盤の多さをニール・ヤングと比べると、ヤングのほうに軍配があがると思う。今日のアーティストに与える影響なんかも確実に弱くなっていると思うしね。でも今でも新しいアルバムを、しかも傑作のアルバムを発表して、グラミーも何部門かもっていくってのはやはり素晴らしいと思う。いや、ほんとに新作がすごくいいんだってば。ディランは80年代や90年代と比べると、今まちがいなく充実してきている。これはファンにとってはすごく嬉しいことだ。とくに『ラブ・アンド・セフト』のディランはどうだろうか。『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や『ワールド・ゴーン・ロング』を通り抜けてきたディランがここにいる。そう、彼は上でも書いたように、自分をアメリカンミュージック の伝道者として位置づけたんだと思う。強烈なメッセージもなく、あるいは強烈な個性さえなく、非常に純粋な音楽家の姿が見えるようだ。
<アルバム紹介>
Bob Dylan (1962,Columbia)
『ボブ・ディラン』
ウディ・ガスリーの影響を強く受け、当時のフォーク・リヴァイバルムーブメントの中で作られたフォーク・アルバム。ディランのギターとハーモニカのみで演奏されている。オリジナル曲は「Song to Woody」と「Talkin' New York」のみだが、どちらも素晴らしい。
The Freewheelin' Bob Dylan (1963,Columbia)
『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』
「風に吹かれて」「激しい雨が降る」などフォークの聖典というべき名曲がそろう。
The Times They Are a-Changin' (1964,Columbia)
『時代は変る』
アルバムタイトル曲のフレーズは一般に広まった。プロテスト色が強い地味なアルバム。 「神が味方」「しがない兵士」「ハッティ・キャロルの哀しい死」などやはり名曲が揃う。
Another Side of Bob Dylan (1964,Columbia) recorded in 9th of Jun. 1964.
『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』
一転してパーソナルな曲ばかり。いいラブソングが多い。My back pagesはほんとうに名曲で、30周年コンサートでもラストでみんなに歌われた。ほかには、All I really want to doとかI shall be freeとかIt ain't me babeとかが、エレキバージョンでどんな風に歌われるのかということもチェックしてほしい。ザ・バーズはChimes of freedomとかをとりあげた。I don't believe you (she acts like we never have met)はディランにしては否定的な歌だけど、これも大好き。つうか、これ一日でレコーディングされたんだね。
Bringing It All Back Home (Mar.1965,Columbia)
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
歌詞:私はに向けることができ
ロックの歴史上、最も重要なアルバムの一つ。前半がエレクトリックバンドでの演奏で後半がアコースティックな演奏になっている。 ニール・ヤングはこういう形態のアルバムを70年代以降多く作るが、ディランはこのアルバムだけがこうした構成になっている。とくに、7曲目の「Bob Dylan's 115th Dream」はアコースティックギター一本で歌い出したと思ったら、突然笑い出して「Ok take2」と言ってエレクトリックバンドで演奏し始めるのにはビックリするかもしれない。後半のアコースティックな曲はどれも前半より複雑な驚くべき曲で、これをエレクトリックで表現できるようになるには次作と次次作を待たなければならない。プロデューサーはトム・ウィルソン。
前作ではラブソングを歌っていたが、このアルバムの歌詞はそれまでのプロテストソングではなく、思いっきり想像力を働かせた、奇妙で難解なものが多くなっている。後半の曲も普通のフォーク・ソングではなく、もっと個人的だが、内省的というわけではない。「Mr. Tambourine Man」は風変わりな詩で、「Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me, In the jingle jangle morning I'll come followin' you.」と歌われる。「But even the president of the United States, Sometimes must have, To stand naked.」などと歌われる「It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)」は超現実的なパラノイアの曲で「イージー・ライダー」のラストでも使われている。「She Belongs to Me」と「Love Minus Zero/No Limit」は極めて美しいラブソングで、「On the Road Again」や「Bob Dylan's 115th Dream」は極めておかしな幻想曲だ。「Subterranean Homesick Blues」では今日のラップにも近い歌い方をしている。「Outlaw Blues」など古典的な形態のブルース曲も多いのがこのアルバムの特徴になっている。ジャケットにはディランが「i accepet caos」「the Great sayings have all been said」「a song is anything that can walk by itself」などと詩を書いている。
当時のロック界やポピュラーミュージックの世界では、これほど複雑な意味の歌詞を持った歌を歌う者はほぼ皆無だった。もちろん、ブルースやフォークなど、世の中を嘆くようなタイプの歌の世界が以前からあったことは事実だが、しかしディランの曲ほど文学的なものは存在しなかった。この時点でディランはフォークの保守的な常識を越え、ロックの規則を変えた。彼の冒険によって、ロックは詩作と個人的な表現に開かれたものとなった。このアルバムに刺激されて、ビートルズ(とくにジョン・レノン)ははじめてのアーティスティックな作品『ラバーソウル』を製作することになる。しかしここでのディランは、ロックにおいて歌詞を音楽と匹敵するほど重要なものとしてはじめて提示したというだけでなく、音楽を言葉の� ��長とするところにまで達している。こうしたアプローチは70年代のシンガーソングライターたちにとって先駆的なものであり、アラニス・モリセットなど今日のアーティストたちにも連綿と引き継がれているものだ。
この年の7月にニューポート・フォーク・フェスティバルという有名なフォークの大会で、the Paul Butterfield Blues Bandをバックに、あろうことかエレクトリック・ロックを披露したためフォークファンの観客からブーイングを受けた。
Don't Look Back, May 17, 1967
Highway 61 Revisited (Aug.1965,Columbia)
『追憶のハイウェイ61』
「ライク・ア・ローリング・ストーン」のあまりに衝撃的なパンチ。しかもその第一撃はその後の曲によってむしろ強められることになる。『ブロンド』のすぐ前のアルバムなのに、対照的なサウンドだ。荒削りで、ブルージーで、攻撃的で、奇跡的なハイテンション。 ディランのなかでも最も伝説的なナンバー「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、前は羽振りがよかったが今ではすっかり落ちぶれた女性に対して「How does it feel, To be on you own, with no direction home, Like a complete Unknown」と攻撃的に歌いかけているが、同時に哀れみも感じられる複雑な味わいの曲。「nobody has ever taught you how to live on the street, And now you find out you're gonna have to get used to it. You said you'd never compromise, With the mystery tramp, but now you realize, He's not selling any alibis, As you stare into the vacuum of his eyes, And ask him do you want to make a deal?」といったくだりには、父親より教わったことより多くの人生訓が込められいてすっかりまいってしまった。ライブでディランがこの歌を歌ったときには、あまりにも涙がぼろぼろと出てきて、自分でもこの歌が自分に与えたものの大きさに改めて気づいてびっくりしてしまった。
しかしこのアルバムはその声の鋭さと言い、セッションの息のあい方と言い、聞けば聞くほど異常な名演揃い。 チャーリー・マッコイにアル・クーパー、マイク・ブルームフィールドといった一流ミュージシャンの参加も大きく、ちょっと二度とできないような類のレベルの高い演奏をしている。 今作からプロデューサーはボブ・ジョンストンにかわっている。ジャケットにはまた変な詩が書かれている。
前作以来、フォークからロックへと転身したディランは多くのファンから見放され、コンサートでも聴衆を集められなかったらしい。バックをつとめていたホークス(のちのザ・バンド)のレヴォン・ヘルムは彼にフォークに戻るように進言し、バンドを去っていったという。そんな環境にいたこの時期のディランは、彼のキャリアの中でも最も攻撃的でとてもキレていた。
このアルバムでおどろくのは、ディランが以前と違った歌い方をしているということより、彼のペルソナそのものさえ変えているということだろう。世間擦れした皮肉屋といったキャラクターで、語りかける歌が多い。楽曲の幅も広く、「Tombstone Blues」や「From a Buick 6」、「Highway 61 Revisited」は全くのガレージ・ロックだし、「It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry」はジャズ風に演奏されたブルース、最後の美しい「Desolation Row」は思索的なフォーク・ロックになっている。
アルバムを通して、歌詞には旧約聖書や歴史などからくる様々な混沌としたイメージが入り乱れ、脅威と美の両方を感じさせる。それに応じて音楽もときにメロディアスでときにハードでブルージィなロックを聞かせる。完成されていながらどこか荒削りな感じを与えていることもこれを唯一無二のロックアルバムにしている。詩的かつ複雑に音楽を通して解放するということ、それをここでのディランのようにはちゃめちゃなやり方で実践したことはまさに革新的なことだった。私たちがこのアルバムに惹かれるのは、ディランがエレクトリック音楽をとおして、はじめて開放的な自己表現を見事に行ったということにあるのだろう。自分の表現を見いだした者のエネルギーと躍動でこのアルバムは満ちており、とてもピュアだ。
じつのところ、この時期USAで最も文化的にレベルの高いものを生み出していたのはディランであって、彼の影響は音楽だけでなく、文学にも大きな影響を与えた。というか、ディランはビートジェネレーションなどとも交流があり、その影響は相互的だったと言える。とくに「廃墟の町」なんかのその詩的イメージの豊かさは、 ロック音楽の歌詞としては史上最高と言える。11分を越える曲だというのに、いつまでも聞いていたくなる。
Blonde on Blonde (May1966,Columbia)
『ブロンド・オン・ブロンド』
マリオ·どのように私は息をしない
またまた前作から一転してニューオーリンズ・カーニヴァル風のポップなオープニング・ナンバー「雨の日の女」ではじまるので、これが「ライク・ア・ローリングストーン」を歌ったのと同一人物とは思われない かもしれない。事実、ここでのディランは落ち着いた歌い方で、かつてないほど幅広い音楽に手を出している。
リラックスしつつも、前作のラストで見せた詩的広がりを音楽によってさらに豊かにしていくという方法で、ディランのなかで最も文学的なアルバム。とくに アルバムのハイライトをなす七分を越える回りくどいが感動的なバラード「Visions of Johanna」や「Stuck Inside of Mobile With the Memphis Blues Again」の歌詞や歌い方は面白い。母音をひきのばすねちっこい歌い方で、叙情性をひきたたせているのだけど、これがいわゆるディラン調というものを作り上げることになる。また、古典的なフォークやカントリーをディランらしくロックにしたてあげようとしようともしているが、ここではすでにそれを完成されたものとして提出している。 「One of Us Must Know (Sooner or Later)」や「I Want You」といった甘く切ないラブソングも素晴らしい。「Just Like a Woman」はバングラデシュコンサートで歌ったバージョンも筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい。非常に文学的なラストの「Sad Eyed Lady of the Lowlands」では、ディランの詩作の頂点に達していて、その想像力がほとんどはじけて飛びちらんばかりになっているのを聞くことができる。
一流ミュージシャンたちによる演奏も素晴らしく、曲の創作力に合っている。前作でもプレイしていたチャーリー・マッコイやアル・クーパーに加え、ケニー・バットリー、ウェイン・モス、ジョー・サウス、ジェイミー・ロバートソン(のちにロビー・ロバートソンとなる彼のこと)などが参加している。当時ツアーを組んでいたホークス(ザ・バンド)とは「スーナー・オアー・レーター」のみ一緒にレコーディングしたらしい。そのほかの曲はナッシュヴィルで録音されたが、ディランが一曲書き上げるごとにほぼ即興で一発取りされたものを使ったとのこと。バンドの演奏は前作のような鋭さではなく、少しルーズだが幽玄だ。シュールレアルでイメージ豊かな文学的世界が、ねちっこい舌と饒舌で情感たっぷりの歌唱と複雑で� ��みのあるサウンドによって無限に増幅されていくはほんとうに心地よい。
ディランの作品の中で最も驚異的な密度で素晴らしい曲ばかり詰まったアルバムで、これほど激しくロックし、これほど奇妙なイメージをもったアルバムというのはほかにない。とくに60年代特有の混沌としたざらざらな音作りが魅力を倍増させている。しかし彼は、30年後の『タイム・アウト・オブ・マインド』や『ラブ・アンド・セフト』でも、この種の音作り に再び挑戦し、見事な成功を収めて人々を驚かせた。
Bob Dylan's Greatest Hits, 1967
『グレーテスト・ヒット第1集』
シングルのみだった「寂しき4番街」を初めてアルバムに収録。
John Wesley Harding (1967,Columbia)
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』
ディラン二度目の転身を告げるカントリー・テイストのアルバム。カントリー・ロック革命を準備したこの作品は、実はディランのキャリアの中でもかなり重要な傑作である。チャーリー・マッコイ、ケニー・バトレー、ピート・ドレイクらが参加している。
1966年に『ブロンド・オン・ブロンド』を発表した後、ディランはバイク事故をきっかけに、ウッドストックのビック・ピンクと呼ばれる家にこもり、そこでホークス(のちのザ・バンド)の面々とセッションを行った。それはアメリカのルーツ音楽をベースにしたセッションで、当時はやっていたサイケデリック・ロックとは正反対の渋い音楽だった。このセッションのブートレッグレコードが広くミュージシャンたちのあいだで広まり、話題になったが、それはたんなる好奇心でおわらなかった。ウッドストックにレコード会社が作られたこともあって、これは一つのムーブメントになり、大きくロックシーンを変えていくことになる。そうして、60年代後半にはアメリカ南部のルーツミュージックがロックに多く取り入れられていく� ��うになる。ザ・バーズの68年の『ロデオの恋人』もまたカントリー・ロックを扱ったアルバムだが、このアルバムはそうした潮流のまさに先駆となった。
ディランのワイルドなロックアルバムとまったく対照的に、静かで思索的だ。彼が初めて真剣にカントリーへ進出したアルバムだが、「I'll Be Your Baby Tonight」など数曲だけがストレートなカントリーになっている。これはむしろカントリーの田舎くさいサウンドや地方の伝説に基づくアルバムで、「All Along the Watchtower」「I Dreamed I Saw St. Augustine」「The Wicked Messenger」など、なぞめいた歌詞をもつ曲が並んでいる。詩は以前と比べるとはるかにシンプルなもので、これはロビー・ロバートソンがディランに与えた影響らしい。ミュージックもシンプルでかつストレートで、メロディアスだ。
Nashville Skyline, 1969
『ナッシュビル・スカイライン』
うわっ、何これ。という反応がまずは正しいアルバム。トレードマークだったしゃがれ声ではなく、美声で歌っているということからして何かの冗談かと思わせる。いや、トム・ウェイツじゃないんだし、もともとこの若さにしてしゃがれ声なわけないじゃん。たばこをやめたら変わったと言うことだけれど、あまりの変貌ぶりには驚くばかり。
前作がカントリーテイストのアルバムだったのに対し、これはほんとにストレートなカントリーアルバム。スティール・ギターが短くストレートな歌を彩っている。ディランが低音の甘い声で優雅に歌っているのはこれだけだ。「Lay Lady Lay」「To Be Alone With You」「I Threw It All Away」「Tonight I'll Be Staying Here With You」などは名曲だし、自作を再び取りあげた「Girl From the North Country」ではJohnny Cashとのデュエットが聴ける。
Self Portrait, 1970
『セルフ・ポートレイト』
二枚組で発表され、全ての曲がカバーかセルフカバーというディランの中でも最も変なアルバム。ポール・サイモンの『The Boxer』なんかもカバーしているのには驚く。賛否両論はもちろんだが、実は熱狂的な支持者も多い。
New Morning, 1970
『新しい夜明け』
Bob Dylan's Greatest Hits, Vol. 2
『グレーテスト・ヒット第2集』
「傑作を書く時」「アイ・シャル・ビー・リリースト」など5曲が初収録。
Pat Garrett & Billy the Kid, 1973
『ビリー・ザ・キッド』
Dylan, 1973
Planet Waves (January 17, 1974,Asylum) with 'The Band'
『プラネット・ウェイブス』
70年代にはいって低迷を続けていたディランがひさびさに出した好アルバムがこれ。ザ・バンドが全曲バックについており、そのグルーブ感が素晴らしい。
Before The Flood (June 20, 1974,Columbia) with 'The Band'
『偉大なる復活』
リュダクリスはどこからです。
ザ・バンドと一緒のライブの記録。ザ・バンドの曲もいくつか演奏している。
Blood on The Tracks (January 17, 1975,Columbia)
『血の轍』
最もパーソナルでファンに愛されているアルバムではないだろうか。ライブで一番拍手が大きいのはこのアルバムからの曲だ。アコースティックなサウンドは美しく、時がたつにつれて好きになることでしょう。余韻が深く、口当たりがいいアルバムなので、ディランを初めて聴く人にもおすすめできます。
正直ディランっていうのは、その文学性の高さや、日本人にはなじみくいそのトンガッタ音楽や、歌詞の難解さなどから、ビートルズとかと比べるととっつきにくいアーティストのようだ。日本ではロックは一種の歌謡曲になってしまっているし、ディランのような先鋭なロックミュージシャンはじつは受け入れらがたいのかもしれない。つまり、コアなロックファンしか聞いていないのかも、という感じなのだ。そんななかで、このアルバムは日本人にも一番支持されている。何よりメロディアスだし、かつてなくシンプルな言葉でディランの心が語られるラブソングアルバムとなっているからだ。どれも失恋の歌なのだけど、日本のシンガーソングライターのように心情を直接歌うのではなく、ある物語としての恋が語られる。「ブ� ��ーにこんがらがって」なんかはストーリーを持っていて実に面白い。昔の恋人にそっと手渡されたストレートなラブレターといった感じのアルバムで、味わい深いことこのうえない。実際にライブでこのアルバムからの曲が歌われたら、自然とほろりとしてしまうだけの曲がそろっている。
The Basement Tapes (June 26, 1975,Columbia) with 'The Band'
『地下室(ベースメント・テープス)』
ザ・バンドとのセッションの記録。バイク事故にあったディランはウッドストック近くのビック・ピンクにひきこもってザ・バンドとアメリカンミュージックの源泉に迫ろうとしていた。いや、ザ・バンドはディランとのこのセッションによって世に送り出されたとも言える。『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』はこれと同じ音源を使った曲もあるし、音の作り方も同じだ。
もとは公開を目的としていない即興的なセッションの録音だけれど、これがなかなか面白い。というか、驚くほどよいものである。ここではアメリカ的なものが主題となっていて、古いフォークやカントリー、ブルース風の曲を取りあげているのだけれど、単なる懐古趣味ではなく、生き生きとしていて暖かい、ユーモラスでコクのある演奏をしている。ディランのアルバムのなかで最も肉感的 だ。
ディランはかつてないほどルーズで、ファニーな感じで、それがここでの奇妙でワイルドなキャクターを裏切ってもいる。彼は古い伝説を思い出させると同時に、新しい伝説を作りあげてもいる。昔のブルース・シンガーなどの名前も登場する。まるでブルースやユーモア、フォークにほら話、仲間内のジョーク、そしてロックのごった煮のようだ。ザ・バンドはディランのナンバーをいくつか歌い、ストレートな演奏を聴かせ、ディランの移り気な才気を際だたせている。これはアメリカで作られた音楽の中で最も偉大なものの一つだ。
Desire (Jan.1976,Columbia)
『欲望』
ディランは75年から76年にかけてRolling Thunder Revueという混沌としたゲリラ的なツアーを行った。それはディランが一番はりのある声で、再びがんがんロックをしまくっていた、ノリにのっていたときの ツアーだけど、その時のサウンドをスタジオアルバムに持ってきたのがこれ。
前作のパーソナルな雰囲気はここにはなく、以前のようにストリーテラーに徹したアルバムで、演奏もアンサンブルを強調したものになっている。ジャック・レヴィと共同で詩作をしていて、ちょっとユダヤ的な歌「Oh, Sister」もある。エミルー・ハリスもコーラスに加わったりしていて、ディランのアルバムの中で最も多彩な色彩をもったアルバムだ。
名曲も多く、「ハリケーン」はのちに映画『ザ・ハリケーン』でも取りあげられるルービン・カーターのことを歌ったパワフルな曲で、「モザンビーク」は快活なナンバー。ある女性との出会いと別れが神話的な調子で語られる「イシス」は彼の最も素晴らしい曲の一つだ。ディランお得意のアウトローの歌「Joey」も美しい。「ロマンス・イン・デュランゴ」はメキシコテイスト のノリのいい不思議な味わいの曲。「Sara」は彼の別れた妻サラのことを歌った赤裸々で情熱的なラブソング。
このアルバムを傑作の域に入れるどうかという点には少し異論があるだろう。アレンジは少し俗っぽいし、演奏は確かに明るいし親しみやすいがそれほど深みのあるものではないからだ。しかしディランの作品の中でも刺激的で独特な一枚であることには変わりない。
Hard Rain (Sep.1976,Columbia)
『激しい雨』
Rolling Thunder Revue後期の音源から作られたライブアルバム。このツアーはディランが行ったライブのなかでも最も評価が高いものだが、長年このちょっとこの質の落ちたアルバムしか公式には発表されていなかった。今日ではこのツアーの最良の音源を『The Bootleg Series, Vol. 5』で聞くことができる。
Bob Dylan Versus A.J. Weberman, 1977
Renaldo and Clara, 1977
Street Legal (Jun.1978,Columbia)
『ストリート・リーガル』
ポップなアルバム。最近再評価されつつある。
At Budokan (Nov.1978,Columbia/Apr.1979,CBS)
ケンケンガくガクな議論の対象となっている問題のライブアルバム。日本初来日公演だというのに、ファンの人が聞いてもなかなかその曲だとは分からないようなポップで極端なアレンジが施されている。実際、客席でぼーぜんとしている人も多かったとのこと。
でもね、初めていく国でこういうトンデモナイことをしちゃえるディランってやっぱりすごいなあと思うのよね。実際、このアレンジはすごい新鮮だし(てゆうか、まったく別の曲やねんどれも)、聞く価値あると思います。再評価をまつアルバムかな。
Slow Train Coming, 1979
『スロー・トレイン・カミング』
ジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットをプロデューサーに迎え、マスル・ショールズで録音された。ボーン・アゲイン・クリスチャンという宗派を通してキリスト教に改宗したディランがなんとゴスペル・ロックをやったびっくりなアルバム。しかし完成度の高い名盤。
1980 Saved
『セイヴド』
1981 Shot of Love
『ショット・オブ・ラヴ』
Infidels (1983,Columbia)
『インフィデル』
打ち込みなんかも使ったポップなアルバムだが、名曲の多い名盤。前三部作から一転して無神論的な歌詞になっている。
Real Live, 1984
『リアル・ライヴ』
Empire Burlesque, June 8, 1985
『エンパイア・バーレスク』
久々にストレートな心情を歌ったラブソングのアルバムで、名曲も多い。スライ&ロビーやジム・ケルトナー、ロン・ウッドらを迎え、リミキサーにアーサー・ベイカーを起用して制作された。 ファンの間では意外と人気が高い。
Biograph, October 28, 1985
『バイオグラフ』
ライヴ・エイド
Knocked Out Loaded, 1986
『ノックト・アウト・ローデッド』
Down in the Groove, 1988
『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』
Traveling Wilburys, Traveling Wilburys, Vol. 1, October 25, 1988
Dylan & The Dead (1989,Columbia) with 'Greatful Dead'
『ディラン&ザ・デッド』
Oh Mercy (1989,Columbia)
『オー・マーシー』
ダニエル・ラノワをプロデュースに迎えた佳作。「シューティング・スター」などディランらしい名曲が並ぶ。収録時間が短いのが残念。
Under the Red Sky (1990,Columbia)
『アンダー・ザ・レッド・スカイ』
Traveling Wilburys, Vol. 3, October 19, 1990
Good as I Been to You (1992,Columbia)
ディランがフォーク・トラッドソングのトラディショナルナバーばかりをギターとハーモニカだけでカバーしたアルバム。一見地味だが、歌声も力強く、ギターのピッキングも素晴らしい傑作となっている。それどころか、ディランがルーツ音楽への回帰を果たそうとする第一歩となった作品としても重要だ。
The Bootleg Series, Vols. 1-3 : Rare And Unreleased, 1961-1991
『ディラン・ブートレグ・シリーズ1〜3』
The 30th Anniversary Concert Celebration (1993,Columbia)
『30thアニヴァーサリー・コンサート・セレブレイション』
ディランのレコードデビュー30周年を記念して行われたライブのアルバム。シニード・オコナーが観客から罵倒され、「War」を歌ったことで話題になったけれど、そのテイクは収録されていない。一流アーティストたちによるディランのカバーを聞くことができる。ディランが30年にわたってどれほど素晴らしい曲を書いてきたかということも再確認できる。
Richie Havensの感動的な"Just Like a Woman,"や、the Clancy Brothersによるアイリッシュ・フォークな「When the Ship Comes In」、Mary Chapin CarpenterとShawn ColvinとRosanne Cashらによる「You Ain't Goin' Nowhere」、Eddie VedderとMike McCreadyのアコギによる「Masters of War」など聞き所はたくさんある。Lou Reedがブートレッグから「Foot of Pride」から取りあげて自分のスタイルで演奏しているのはほんとうに見事だし、Eric Claptonは「Don't Think Twice, It's All Right」で彼の人生の中でも最も素晴らしい演奏をした。ニール・ヤングはなんとジミヘンバージョンの「見張り塔からずっと」を見事にやって、コンサートのハイライトを作った。George Harrisonは『ブロンド・オン・ブロンド』の中から「Absolutely Sweet Marie」を取りあげた。ディランは最後に現れ、即興的だが説得力のある声で「It's Alright, Ma」と「Girl of the North Country」を歌った。しかしこのアルバムにはハリソンの"If Not for You"、Claptonの "Love Minus Zero, No Limit"やBooker T. & the MG'sの演奏の幾つかなどが収録されていないし、このコンサートの意味において最も重要だったディランの「Song to Woody」さえもなぜか入っていない。
とはいえ、このコンサートが素晴らしいことには代わりはなく、ディランの曲が今でも新鮮で、そして歴史的なものであることを訴えかけている。
World Gone Wrong (1993,Columbia)
『奇妙な世界に』
前作と同じく、フォークのトラディショナルナンバーばかりをカバーしたアルバム。ほとんどの曲がマイナーなものだけれど、ディランはそれを生き生きと現代によみがえらせた。これらの曲に入れ込むディランの思いは尋常なものではなく、そのコミットの深さはすごく伝わってくるので、ほんとに感動的だ。
ディランの後半のキャリアの中では最も力強く、素晴らしいアルバムの一つだと言える。
Greatest Hits 3, 1994
『グレーテスト・ヒット第3集』
MTV Unplugged (1995,Columbia)
『MTVアンプラグド』
Time Out of Mind (1997)
『タイム・アウト・オブ・マインド』
一時期完全に自信を喪失し、グレイトフル・デッドの一員にまでなろうとし、『Under the Red Sky』以降は新曲を作らなかったディランがツアーを続ける中で再び自信を取り戻し、そして『Good as I Been to You』で試みたようなボトル・ブルースの再構成を自らの楽曲において全面的に展開したのが、この初グラミー受賞アルバムとなった。
ダニエル・ラノワがプロデュースしているので、『Oh Mercy』と音作りは似ているが、こちらの方が深く、よりエモーショナルになっている。演奏も素晴らしく、まるで『ブロンド・オン・ブロンド』を彷彿とさせるかのような完成度だ。ディランの声はいつにもましてアクが強いつぶれたしわがれ声だが、これが痛みを訴える歌詞とぴったりで、とても効果的だ。前作と同じようにどれもビターな味わいの曲ばかりで、ダーティーで渋い大人の雰囲気がぷんぷんしている。トラディショナルなカントリーやフォークをディランなりに見事にエレクトカルに発展させ昇華させたアルバムでもあり、アメリカンルーツミュージックの見事な再解釈となっている。感情的な側面でも『Blood on the Tracks』以来、最高の強度でもって訴えかけてくるものがある。
80年代の低迷期を抜け、ディランがこうした形で見事に傑作を作り、しかもそれが彼の最良の時代の作品にも匹敵する出来映えになろうとは、誰が予想しただろうか。しかもその内容は、40年代や50年代の古いアメリカ音楽を知っている彼ならではの音楽になっているので、アメリカンミュージック史上においても重要な仕事だと言えるだろう。コアなディランファンだけでなく、アメリカンミュージックに感心のある人や、普通のロックファンにも勧めることのできる間違いない傑作だ。
The Bootleg Series, Vol. 4: Bob Dylan Live, 1966: The "Royal Albert Hall Concert", October 13, 1998
『ロイヤル・アルバート・ホール』
ニューポート事件が起きた一年後のライブからのアルバム。二枚組でDisc 1は彼一人での弾き語り、Disc 2は後のThe Bandがバックを務める。
Love and Theft(2001)
『ラヴ・アンド・セフト』
前作とはうってかわって軽快な明るい曲の多いアルバム。これは『Blood on the Tracks』以来の最良アルバムというだけではなく、『The Basement Tapes』以来のファニーで暖かいアルバムだと まで評価された。後期ディランを代表する傑作だ。
The Bootleg Series, Vol. 5: Bob Dylan Live 1975(2002)
『ローリング・サンダー・レヴュー』
かのローリング・サンダー・ツアーからのライブアルバム二枚組。もう四半世紀まえの音源なのに、発売されるやいなや大きな反響を呼んだ。ディランの偉大さは掘り尽くされることがないといったところか。ライブアルバムとしても、ディランの最高傑作と言われ続けることになるだろう。しかしこれを生で聞けた人はあまりに幸せだなあ。
Masked and Anonymous, 2003
『ボブ・ディランの頭のなか マスクド・アンド・アノニマス』
『ボブ・ディランの頭のなか』として2005年に日本公開された映画のサントラ。様々なアーティストがディランの曲をカバーしている。真心ブラザーズが「My Back Pages」をカバーしているのには驚き。
The Bootleg Series, Vol. 6: Bob Dylan Live 1964 - Concert at Philharmonic Hall, 2004
フォーク時代のライブアルバム。海賊版で出回っていた音源の公式リリース。
Live at the Gaslight 1962, 2005
The Bootleg Series, Vol. 7: No Direction Home - The Soundtrack, 2005
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