ドイツ語学習者のためのD-Pop入門
ドイツ語学習者のためのD-Pop入門
はじめに
「ドイツ語の勉強が楽しくなるためのひとつの手段」として、ここでは「ドイツ語で歌われているポップ・ミュージック」(一般的にこれをD-Popと言います)を紹介いたします。好きな歌があれば、メロディーとともに歌詞を暗記してしまうことは普段私たちがよく経験することですが、これをドイツ語学習に応用するのです。気に入ったドイツ語のフレーズを覚えておけば、実際にそれを日常ドイツ語会話で使ってみる、なんてこともできますよ。特に、「愛」という人間の最も関心のあるテーマをドイツ人歌手も好んで歌いますので、ドイツ語で「愛」を語るなんでこともできちゃうわけです。
ところで、かつてNHKテレビ・ドイツ語会話で「D-Popコレクション」というコーナーがありました。このコーナーでは、最新のD-Popを� �介し、ドイツ語学習を楽しくしようという試みがなされていましたが、残念ながら、このコーナーはなくなってしまいました。ちなみに私はこのコーナーを見たいがために、NHKドイツ語会話を見ていました。今回みなさんにお届けする「D-Pop入門」は、この「D-Popコレクション」の心意気を継承し、さらに掘り下げていこうという試みです。
で、これから実際にみなさんにD-Popを紹介していこうと思うのですが、みなさんはどんなD-Pop歌手を知っているのでしょうか。おそらく、まったく知らないのではないのでしょうか。日本に輸入される外国の歌は、残念ながら、どれも英語ばかりですからね。以下では、D-Popを「比較的日本で手に入りやすいD-Pop」「インターネットで手に入るD-Pop」という二つのグループにわけ、紹介していこう� �思います。選曲には、私の「個人的な好み」が介入していることをご了承下さい!
では始めましょう。
比較的日本で手に入りやすいD-Pop(大型CD店で見つかるD-Pop)
1. ネーナ(Nena):『ロックバルーンの軌跡−ベスト・オブ・Nena』(原題:Nena. Die Band) [1992年]
D-Popを語る上で欠かせない存在なのが、このネーナ。彼女の代表曲「ロックバルーンは99」(原題:99 Luftballons. 1982年)は、ドイツ本国のみならず、アメリカや日本でもヒットしました。今でもたまにラジオで聞きますし、英語ヴァージョンはいろいろな人にカヴァーされています。2003年、バンド結成20周年にこれまで出した曲を収めたニューヴァージョン・アルバムを発表し、かなりヒットしました。
ネーナの歌の中で私が好きな曲は「未来へのスパークル」(原題:Irgendwie, irgendwo, irgendwann)。歌詞の中にこんなフレーズがあります。
Im Sturz durch Raum und Zeit 空間と時間のすきまを
Richtung Unendlichkeit 永遠に向かって
Fliegen die Motten in das Licht 蛾が光に向かって飛んでゆく
Genau wie du und ich ちょうど君と僕のように
「蛾が光に向かって飛んでゆく」というフレーズは、おそらくドイツの文豪ゲーテを念頭においています。ゲーテは夏の夜、蛾が炎に魅かれ、その炎の中に飛び込んで身を焦がす姿を目の当たりにして「死して成れ(Stirb und werde! )」という言葉を思いつきます。古くから鳥であれ、蛾であれ、宙を舞うものは魂の比喩。本能の命ずるままに、炎に身をさらしてこそ、魂は変容の果てに新たによみがえるということをゲーテは言いたいのです。(どんな炎に身をさらすかはその人次第です)。
と、まあ、かなり難解なことを考えるゲーテ、それを引用するネーナではありますが、とにかくネーナの曲はすべてお勧めです。他にも『ウーマン・オン・ファイヤー』や『ボンゴ・ガール』、『私小説』というアルバムも気長に探せば手に入ると思います。
ちなみに、先ほど挙げたネーナ最大のヒット曲「ロックバルーンは99」は、カラオケで歌えます。是非、挑戦してください。
2. ジンギスカン(Genghis Khan):『ノン・ストップ・ベスト・ヒッツ』(Non-Stop Best Hits) [2001年]
1970/80年代のディスコブームに乗って登場してきたジンギスカン。彼らの最大のヒット曲「ジンギスカン」(原題:Dschinghis Khan)は、今でも運動会のフォークダンスでよく使われています。最近ではビールのCMで使われていました。「ジン、ジン、ジンギスカーーン♪」という強烈なフレーズを、みなさんも一度は耳にしたことがあるのでは。思いっきりお祭り気分を味わえる曲ですが、これがドイツ語の歌だとは知らなかったのではないでしょうか。
このアルバムには、その他に「めざせモスクワ」(原題:Moskau)、「ハッチ大作戦」(原題:Hadschi Halef Omar)などの有名な曲も入っているので、このアルバムは「買い」です。(私のかすかな記憶では、「ハッチ大作戦」は『ひらけポンキッキ』でよく流れていたような気がするのですが…)
「ジンギスカン」は先ほどの「ロックバルーンは99」と同様にカラオケで歌えます。カラオケで歌えるD-Popはこの二曲だけ!(だと思う…。自信なし)これも是非、挑戦を!
3. ニナ・ハーゲン(Nina Hagen):『ザ・ベスト・オヴ・ニナ・ハーゲン』(14 Friendly Abductions: The Best of Nina Hagen) [1997年]
yaはファンクしたくない
ドイツが生んだ超前衛カリスマ歌姫。旧東ドイツ出身。旧東ドイツでは、思想統制のためにロックの歌詞にも検閲が行なわれていました。バンド活動を行なっていた彼女はこれに不満を抱いていたのですが、1976年、奇跡的に出国を許可されます。(その辺の事情を話すと長くなるのでここではやめておきます。)その後、旧西ドイツやアメリカで成功を収めた彼女の歌詞には、東ドイツに対する「おちょくり」みたいなものがあって、歴史の勉強にもなります。代表曲「テレビを見る人」(TV-Glotzer)では、東ドイツの住人が西ドイツのテレビ番組を違法に受信して、その画像の美しさにどのチャンネルを選んだらいいか困惑する様子が描かれています。
私のお勧めの曲はフランス・シナトラの代表曲「マイ・ウェイ」をドイツ語に書� ��なおした「マイ・ウェイ」(ドイツ語ヴァージョン)です。ガリガリ、ギュイーーンと唸りを上げるギターの爆音に合わせて、金切り声というか、シャウトしまくる彼女は、どこか別の世界にイっちゃってるみたいです。好みの別れる歌手ですが、私は大好きです。
ちなみに彼女、最近ではドイツ語版『千と千尋の神隠し』(Chihiros Reise ins Zauberland)で湯婆婆の声を担当しました。
4. ディー・エルツテ(Die Ärzte):『ディ・エルツテ』(die ärzte presents„Die Ärzte")[2002年]
ドイツが誇るスーパー・パンク・ロック・バンド。アルバムの日本発売に合わせ2002年には来日もしました。私も名古屋公演に行きましたが、そのときにドラムを担当するベラにドラムスティックをもらいました。(あの時の感動はまだ忘れられない!でも私の隣にいたドイツからの追っかけモヒカンねーちゃんはすごく恐かった…。)
先ほど言いましたNHKテレビ・ドイツ語会話の「D-Popコレクション」で、「恋の行方」(原題:Wie es geht)という曲のビデオクリップが紹介されたことがあったのですが、最高にカッコよかったです。
このアルバムで気になった曲のひとつに「や・ば・い・よ・髪型」(原題:Vokuhila Superstar)があります。(この邦題すごいね。)Vokuhilaとはvorne(前), kurz(短い), hinten(後ろ), lang(長い)の四語の最初からとったもので、いわゆるウルフカットのことですが、この曲の中で、この髪形をしているD-Pop界の大御所ペーター・マッファイ(Peter Maffay)は散々コケにされています。ペーター・マッファイ、怒っただろうなあ。
5. ラムシュタイン(Rammstein):『ムター』(原題:Mutter)[2001年]
ザクザク切りこんでゆくギターと、重く迫力のあるヴォーカルで押しまくるヘヴィー・メタル・バンド。前作『渇望』(原題:Sehnsucht)は全世界でヒットし、400万枚も売れたそうです。(残念ながら、このアルバムは持っていません。)まあ、このバンドの特徴は、超重量級のへヴィー・サウンドですので、好きか嫌いかにはっきり別れると思います。ドイツの有名なヘヴィー・メタル・バンドとしては、ベーゼ・オンケルツ(böhse onkelz)も挙げられます。
6. スペース・ケリー(Space Kelly):『スペース・ケリー』(Space Kelly)[2000年]
『S. K. F. C.』[2002年]
ベルリン出身で、ドイツ人の父と日本人の母を持つバイリンガル歌手。本当にポップ。ポップすぎるくらいポップです。ドイツ語もそれほど難しくはなく、比較的ゆっくりな歌い方ですので聞き取りやすいです。ドイツ語学習にもってこいだと言っていいでしょう。NHKテレビ・ドイツ語会話のエンディング曲として『S. K. F. C.』に収録されている「終わりで、おしまい、終わってしまった」(原題:Schluss, aus und vorbei)が使われていました。
7. スコーピオンズ(Scorpions):「ユア・ソー・ダーティー」(原題:Du bist so schmutzig) (アルバム『アイ・トゥ・アイ』(Eye II Eye)[1999年]に収録)
世界で最も成功したドイツ出身のバンドと言えば、このスコーピオンズ。東西ドイツの統一という歴史的変革を歌い上げた彼らの名曲„Wind of Change"は、バンド最大のヒット曲で、ドイツ人で知らない人はいません。(たぶん)。この曲を収録したアルバム『クレージー・ワールド』(1990年)は全世界で700万枚もの売上げを記録したというから、実際とてつもないバンドなのです。しかし、彼ら、ドイツ出身であるにもかかわらず、ドイツ語で歌った歌は、たった一曲しかありません。それがこの「ユー・アー・ソー・ダーティー」(Du bist so schmutzig)です。で、この曲の印象はどうかというと、言葉では言い表せないくらいにカッコイイです。この一曲を聴くためだけに、このアルバムを買っても損はしません。
ちなみにスコーピオンズにかつて在籍し、現在ソロで活動している天才ギタリスト、ウリ・ジョン・ロート(Uli Jon Roth)のアルバムの中にも一曲だけドイツ語の歌があります。『プロローグ 天空伝説』(1998年)に収録されている「死と破壊」(Tod und Zerstörung)です。残念ながら、こちらはたいしたことありません。
8. ビートルズ:抱きしめたい[ドイツ語版](Komm, gib mir deine Hand)
シー・ラブズ・ユー[ドイツ語版](Sie liebt dich)
(アルバム『パスト・マスターズ(1)』[1998年]に収録)
言わずと知れたあのビートルズがドイツ語で歌っています。(この二曲だけ)。私は大学で非常勤講師としてドイツ語を教えていますが、D-Popを授業でよくかけます。で、数あるD-Popの中でも、このビートルズのドイツ語の歌は学生たちにかなり人気です。あのビートルズがドイツ語で歌っていたなんて…という「軽いショック状態」に陥るみたいですね。英語の歌をドイツ語に直した分、歌詞の内容には変更が加えられていますが、十分に楽しめます。ビートルズ、ドイツ語の発音もうまいです。
9. 電気グルーヴ:Nord Ost(アルバム『The Last Supper』[2001年]に収録)
誰が私の傘の下で歌いました
かつて「夢でキス、キス、キス、キスキスキス〜♪」という歌が流行ってましたが、それ以来このグループのことをすっかり忘れていました。が、電気グルーヴにドイツ語の歌が存在することを後輩に教えてもらい聴いてみたところ、それがなかなかよかったのです。電気グルーヴがもともと日本語で歌っていた「N.O.」という歌を、シンガーソングライターの衛藤利恵さんがドイツ語に直し歌っています。衛藤さんは元曲のイメージを損なうことなくドイツ語に訳しています。でも、元の歌が意味不明な歌詞ですので、せっかくドイツ語に直して意味不明な歌詞です。
さて、以上のCDは日本で販売されたものばかりです。気長に探せば手に入ります。で、次に紹介するのは、輸入版でしか手に入らないCDです。これらも大型CD店で見つけられます。(もちろん、見つからない場合もありますが、インターネットで注文することができます。その方法は後ほど説明します)。では、早速、次、行きましょう。
10. ディー・プリンツェン(die Prinzen):Küssen verboten[1992年]
Schweine [1995年]
Alles mit'm Mund [1996年]
Ganz oben. Hits MCMXCI-MCMXCVII [1997年]
A-Capella Album [1997年]
D [2001年]
Olli Kahn(Single CD) [2002年]
Monarchie in Germany [2003年]
旧東ドイツ出身の5人組バンド。5人とも伝統ある少年合唱団出身という経歴を持ち、美しいアラペラと皮肉とユーモアあふれる歌詞を武器に、統一後のドイツで瞬く間にトップ・スターへ登りつめました。日韓サッカー・ワールドカップで活躍したドイツ代表ゴールキーパー、オリバー・カーンの応援歌は日本でもヒットしたことは記憶に新しいのでは。この応援歌„Olli Kahn"にはドイツ語ヴァージョン、日本語ヴァージョンがありますが、ゲーテ・インスティトュートのホームページから無料でダウンロードできます。
ドイツ語版:www.goethe.de/os/tok/defuss.htm
日本語版:www.goethe.de/os/tok/jpfuss.htm
日本にも意外と彼らのファンは多いようで、プリンツェン・ファン・サイトもあります。(検索サイトで「プリンツェン」と検索してみるといくつか発見できます)。D-Popを語る上でプリンツェン絶対に外せない存在ですから、上で挙げたCDの中からいくつか買ってみてはいかがでしょうか。(上で挙げたCDのすべて、私は日本で買いました。)
ちなみにお勧めはアルバム『D』に収録されている「ドイツ」(Deutschland)。ドイツに対する愛憎が心憎いほど表現されています。またアルバム『ドイツ の君主制』(Monarchie in Germany)に収録されている同名の曲„Monarchie in Germany"も面白くていいですよ。
11. ファルコ(Falco):The Final Curtain. The Ultimate Best of Falco.[1999年]
Live. forever [1999年]
ラップ調の音楽にあわせドイツ語で歌い上げた「ロック・ミー・アマデウス」(Rock me Amadeus)で全米No. 1を獲得したオーストリア人シンガー、ファルコ。1998年、彼は40歳の若さにして交通事故で亡くなってしまいましたが、本国のオーストリアのみならず、ドイツでも依然として人気の高い歌手で、その人気は衰えることはありません。ドイツ語でのラップ音楽は彼から始まったと言っても過言ではありません。
私が好きな曲は「エゴイスト」(Egoist)ですが、例えばこんな歌詞です。
Die Sterne schreiben meinen Namen 星は俺の名前を
in das Firmament, 天空に書きこむ
damit er hell in euren Augen brennt 俺の名前がおまえらの目の中で燃えるためにな。
何というエゴイスティックな態度。こういうことを歌えるなんて、「すごい」の一語につきます!日本人歌手がこんな歌を歌ったら、みんなに叩かれるだろうなあ。
インターネットで手に入るD-Pop
12. ディー・トーテン・ホーゼン(Die toten Hosen):Opium furs Volk [1996年]
Unsterblich [1999年]
Auswärtsspiel [2002年]
Die Arzteと並ぶ、ドイツを代表するパンク・ロック・バンド。最近では本国ドイツ以外でも活躍を見せ、映画『トゥームレイダー』のサントラ版に彼らの曲が入っています。(英語で歌っているけど…)。
バンド名になっている「トーテン・ホーゼン」とは直訳すると「死んだズボン」ですが、これは「面白くないこと(もの)」という意味を持っています。ですが決して、彼らの曲は退屈ではありません。お勧めは„Unsterblich"に収められている„Schon sein"と„Bayern"です。
13. プーア(Pur): Opus I [1990年]
Vorsicht Zerbrechlich [1990年]
Pur [1987年]
Wie im Film [1988年]
Unendlich mehr [1989年]
Nichts ohne Grund [1991年]
Live [1992年]
Seiltänzertraum [1993年]
Abenteuerland [1995年]
Live ― Die Zweite [1996年]
Mächtig viel Theater [1998年]
Hits Pur ― 20 Jahre. Eine Band [2001年]
Was ist passiert [2003年]
すべての夢は、音楽を行います
私がD-Popを好きになるきっかけを作ったのが、このバンド。女性への愛、家族への愛、友情、また現代ドイツがかかえる社会的問題などの様々なテーマを、正統派ロックのメロディーで歌い上げてくれます。だたし、ドイツ語のテクストはけっこう難しいです。しかし、それを差し引いても、「ドイツ語のロックはこんなにカッコいいんだ!」という衝撃をこのバンドは与えてくれます。2001年に出たベスト盤は超お勧めです!(私は1996年以前のアルバムが好きです。最近はどうも・・・)
ちなみにアルバム„Mächtig viel Theater"に収録されている「君がいれば」(Wenn du da bist)では、もうじき生れてくる我が子に対する愛が感動的に歌われていたのですが、その後、ヴォーカルのハルトムートは離婚してしまいました…。
14. ヴォルフガング・ぺトリ(Wolfgang Petry) : Alles [1996年]
Alles Live [1999年]
私がドイツに留学したとき初めて買ったD-Popです。賑やかな居酒屋で、よく彼の曲を耳にしました。彼はキャリアが長いので、CDはたくさんあります。お勧めは上記の2枚です。Lollies(ロリーズ)のカヴァー曲„Wahnsinn"がいいですよ。みんなで盛り上がれます。ドイツ語も難しくないし。
ヴォルフガング・ペトリはファンを大切にする歌手で、コンサートでもファンが利用するトイレがきれいかどうかいちいちチェックして回っているのを、テレビで見ました。なかなか真似はできないっすね。ホント頭が下がります。
15. ヘルベルト・グレーネマイアー(Herbert Grönemeyer): Bochum [1984年]
Mensch [2002年]
彼はもともと俳優でしたが、「人はいつ男になるのか」という「男らしさ」を巡る問いを投げかけ曲「男たち」(Männer)によって、歌手としての地位を確立します。[この曲はアルバム『ボッフム』(Bochum)に収録されています]。1998年に妻を亡くした後、彼はしばらく鳴りを潜めていたのですが、2002年末に見事にカムバックを果たしました。アルバム『ひと』(Mensch)はドイツ音楽史上最短でミリオンセラーを獲得したとのこと。このアルバムと同名の曲「ひと」(Mensch)は、ドイツでかなりヒットしました。この歌の中で、彼は妻を失った悲しみから、彼女と過ごした日々を思い出しています。そして、その一つ一つが、いいことであれ悪いことであれ、一人の「ひと」としての自分を形成してきたのだと、彼は思うのです。感動的な曲です� �、まあ、個人的には「男たち」のほうが好きです。これは、男子学生に圧倒的な人気を誇る曲です。
16. ウド・リンデンベルク(Udo Lindenberg): Das 1. Vermächtnis [2000年]
1970年代に登場し、現在も精力的に活動しているD-Pop界の大御所。政治的問題に大いに関心を抱き、ベルリンの壁崩壊前は東西問題を、ドイツ統一後はネオナチ問題などの歌を歌ってます。
お勧めの曲は「パンコー行き臨時列車」(Sonderzug nach Pankow 1983年)。東ベルリンの一地区であるパンコーに通じる現実にはありえない臨時列車に乗って、西ドイツから来たウド・リンデンベルクは東ドイツで歌を歌おうとします。そして、東西ドイツの対話の道を開こうとしない旧東ドイツの国家元首エーリヒ・ホーネッカーを痛烈に皮肉ります。東ドイツの指導者でありながら、実は影で革のジャケットを着ていたり、トイレで西側のラジオなんか聞いてんだろ、と揶揄しています。当時、この歌はかなり話題になり、賛否両論、さまざまな評価がされたようです。
17. ウド・ユルゲンス(Udo Jürgens):Aber bitte mit Sahne. Seine großen Erfolge [1994年]
Zärtlicher Chaot [1995年]
ドイツ・シュラーガー(歌謡曲)界の重鎮的存在、ウド・ユルゲンス。1934年生まれ。日本でも1971年に「夕映えのふたり」(原題:Was ich dir sagen will)がヒットし、中高年層では名の知られた歌手です。(お父さん、お母さんに聞いてください。多分知ってます。)この曲はその後さらに、ペドロ&カプリシャス(高橋真梨子がかつて所属していたバンドね)が「別れの朝」というタイトルで日本語版を歌ってヒットしました。なかにし礼の作詞です。
ウド・ユルゲンスのアルバムはたくさんありますが、わたしは上記の二枚しかもっておりません。アルバム『どうかクリームを付けてね』(Aber bitte mit Sahne)はベスト盤です。このアルバムには前に挙げた「夕映えのふたり」も入っています。お勧めはアルバム・タイトルにもなっている「どうかクリームを付けてね」(Aber bitte mit Sahne)です。ケーキ好きの女の子が食べ過ぎで天に召される様子が面白おかしく描かれています。またアルバム„Zärtlicher Chaot"に収められている「今日、君の人生の残りが始まる」(Heute beginnt der Rest deines Lebens)も、人生に対するやる気を盛り上げてくれる素晴しい曲です。
18. リオ・ライザー(Rio Reiser) : König von Deutschland. Das Beste von Rio Reiser [1994年]
Rio I [1993年]
今、私が最も気に入っている歌手。本名Ralph Möbius。Reiserという芸名はモーリッツの長編小説『アントン・ライザー』(Anton Reiser)に由来し、彼が最初に作ったロック・バンド、トーン・シュタイネ・シェルベン(Ton Steine Scherben)は、考古学者シュリーマンの引用です。私は、彼がかなりの知性派だと踏んでます。このトーン・シュタイネ・シェルベンは反体制的な歌を歌い、カルト的人気を誇っていたのですが、その後、彼はソロで活動し、「ドイツの王様」(König von Deutschland)などのヒット曲を飛ばします。しかし46歳の若さで亡くなってしまいました。
彼の曲の中でお勧めは、トーン・シュタイネ・シェルベン時代では「お前らを壊すものを壊せ」(Macht kaputt, was euch kaputt macht) [Auswahl I. Jubiläumsaufgabe 30(2001年)に収録]、ソロ時代だと「六月の月」(Jinimond)です。特に後者では、失恋した男の悲しみと、それを否定しようする強がる気持ちの絡み合いが歌われていて、とても泣かせます。私の大好きな曲です。これは、前に挙げたDie Prinzenや若手人気バンド Echtによってカヴァーされています。名曲です。
19. ミュンヒェナー・フライハイト(Münchener Freiheit): Schenk mir eine Nacht. Ihre schönste Lovesongs [1994年]
1981年結成の五人組。彼らの音楽の特徴はきれいなハーモニーと覚えやすいメロディーで、代表曲「君なしでは」(Ohne Dich)にも彼らの音楽性がよく現れています。そして、こちらが引いてしまうほど甘ーい歌詞が多いことも、彼らの特徴といえば特徴。例えばこんな感じ。
Ohne dich 君なしでは
schlaf' ich heut' Nacht nicht ein. 僕は今夜、眠れないんだ。
Ohne dich 君なしでは
Fahr' ich heut' Nacht nicht heim. 僕は今夜、家に帰れないんだ。
Ohne dich 君なしでは
Komm ich heut' nicht zur Ruh'. 僕は今夜、落ち着かないんだ。
Das, was ich will, bist du. 僕が必要なのは君なんだ。
ちなみにミュンヒェンの地下鉄には、このバンドと同名の駅があります。
20. ブリュームヒェン(Blümchen): Die Welt gehört Dir [2000年]
ドイツの女性アイドル歌手、ブリュームヒェン。NHKのテレビ・ドイツ語会話のエンディング曲として彼女の「タクシー、タクシー」(Taxi, Taxi)という曲が使われていました。学生たちにこの曲を紹介すると、必ず何人かこのCDを貸してくださいと頼みに来ます。それくらい、今の若者受けする歌手なのです。その他に、このアルバムの一曲目「世界は私のもの」(Die Welt gehört mir)も人気のある曲です。ちなみに「タクシー、タクシー」ではストーカーの女の子が、「世界は私のもの」ではスピード違反でパトカーに追跡される女の子の姿が描かれています。彼女の歌に教育的効果を求めても無駄です。
・・・と、ここまで書きまして、お勧めの歌手を紹介していたらきりがないことにやっと気付きました。まあ、これくらいにしておきます。機会がありましたら、また紹介したいと思います。他にお勧めの歌手は名前だけ挙げておきます。Wie sind Helden, DJ Otzi, Pe Werner, Juliane Werding, Heinz Rudolf Kunze, Jurgen Markus, böhse onkelz, Paula, Rainhard Fendrich…
CDの入手方法について
さて、これまでD-Pop紹介を読んで、実際にCDを購入し、聞きたくなってきたでしょう。では、どのようにしてCDを手に入れたらよいのか、というのがここでのテーマです。これに関しては、以下のようにまとめられると思います。
1. 大型CD店で探してみる(上記の1-11までのCDなら見つかると思います)
2. 東京、京都にお住まいの方は、ゲーテ・インスティテュートでD-PopのCDが借りられます。
3. ドイツに買出しに行く。(お金と時間と気力があれば・・・)
最も簡単な方法は・・・
4. インターネット
4−1.ドイツ語に自信のない人は、HMVのホームページから注文できます。(日本語でOK)
4−2.ドイツ語が少しでもできる人は、amazon.deで注文するのがよいです。これが一番のお勧め。それは、日本のCD店を通じて買うのと比べ安い、しかも試聴ができる、という二つのメリットがあるからです。特に試聴できるということは、CD選択に失敗しないで済むことにつながります。注文には、クレジットカードが必要です。かつては日本に届くまで一ヶ月近くかかりましたが、最近では一週間で届くようになりました。
おわりに
「できることなら楽しくドイツ語を勉強したい」。これは誰もが思うことではないでしょうか。その一つの方法として、ここではドイツ語のポップ・ミュージックを学習に取り入ることを提案しました。そして、日本ではよく知られていないD-Pop歌手を紹介いたしました。ここで挙げた歌を通じて、ドイツ語の勉強が少しでも楽しくなれば、私としては大変嬉しいです。そして、このD-Pop紹介を通じて、ドイツ語を勉強してみようかな、と思う方がいたらもっと嬉しいです。その場合には、「名古屋大学文学部ドイツ文学研究室」へ是非!!!
参考文献:
個々のD-Pop歌手について知りたい人は・・・
・若山俊介:プリンツェン−ドイツ統一直後にスーパースターになったロック・グループをめぐって−.(『宇都宮大学国際学部研究論集』第5号. 1998年, 155-186頁)
・若山俊介:死んだズボン?−ドイツ・パンクグループ「トーテン・ホーゼン」の歌と活動について−.(『宇都宮大学国際学部研究論集』第3号. 1997年, 229-249頁)
・中村実生(←名大独文の先輩!):ロック、ドイツ語、ドイツ−ドイツのロックバンド、プーアについて.(『愛知学院大学教養部紀要』第50巻第2号. 2003年, 29-41頁)
・若山俊介:ウード・リンデンベルク−ドイツ東西問題に取り組んだリーダー・マッハー−.(『宇都宮大学国際学部研究論集』第1号. 1996年, 241-254頁)
・若山俊介:ウード・リンデンベルクの作品に見るドイツ外国人問題.(『宇都宮大学国際学部研究論集』第2号. 1996年, 15-32頁)
D-Popの歴史について知りたい人は・・・
・押野 洋:ドイツのシュラーガーの国際性と国民(ドイツ)性.(『ドイツ語圏のポップカルチャーの国際性と国民性−1960年代から1980年代を中心にして』ドイツポップカルチャー研究会編. 2002年, 3-16頁)(日本独文学会研究叢書014)
・押野 洋:音楽(2)−シュラーガー−.(『現代ドイツ情報ハンドブック』三修社. 2003年, 82-85頁)
・押野 洋:ドイツのシュラーガーについて(1).(『二松学舎大学国際政経論集』第7号. 1999年, 179-188頁)
・高砂美樹:ドイツ・ロックの国際性と独自性. (『ドイツ語圏のポップカルチャーの国際性と国民性−1960年代から1980年代を中心にして』ドイツポップカルチャー研究会編. 2002年, 17-25頁)(日本独文学会研究叢書014)
・高橋慎也:Liedermacher研究(1)−Liedermacherとは何か−.(『ドイツ文化』[中央大学ドイツ学会] 第47号. 1992年, 49-68頁)
・高橋慎也:Liedermacher研究(2)−旧西ドイツLiedermacherシーンの変遷−.(『人文研紀要』[中央大学人文科学研究所] 第33号. 1998年, 63-96頁)
(執筆:林 久博 [2004年博士課程修了])
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