生き残ったあなたへ - Torch Songs
■生き残ったあなたへ
4月中旬よりソフトバンク社の復興支援ポータルサイトのCMソングとして井上雄彦氏とコラボレートされている「smile」に関して、制作の細かい経緯などは他のサイトで説明されているので割愛しますが、いつも通り歌詞について思う事を述べます。
まず、すこし前の記事になりますが、以下のはてな匿名ダイアリーを参照します。
頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
仕事もあるじゃんって。
毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。
流された人を何人も見た。
顔見知りも流された。
その頭にある映像を何回も思い出す。
そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。
時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。
1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。
俺、1人で逃げてきたわけ。
記者は何を意味する
誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。
もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。
福島に住む兄に電話をした増田は、彼に上記の様な話をされます。あくまで増田は一例ですが、こういった怨嗟や後悔の想いを抱える方は少なくないはずです。そんな彼らに対して、どういった歌が響くのか。この問いを常に念頭に置きつつBUMP OF CHICKENが慎重に回答したのが、徹頭徹尾"あなたがまだそこにいること"が歌われてゆくだけの「smile」という楽曲なのではないかと考えています。
心の場所を忘れた時は
鏡の中に探しにいくよ
ああ ああ
映った人に尋ねるよ
私はL- O -V -Eの少しを得ることができます
もう聴かれた方はご存じだと思いますが、この出だしに始まり、楽曲はずっとこの構成のまま展開していきます。そこではひたすら「映った人」とその今と過去だけが歌われています。「あなたはひとりじゃない」。そのようなメッセージをこの曲から読み取ることもできますが、それは広告で頻繁にするモチーフとは全く意味合いの違うものです。寧ろ、"ひとりじゃない"というメッセージがどれだけ有効であるのか、そもそも彼らが"ひとり"であるかどうかなど本来的には問題ではないのではないか、という問いかけを種々のメディアや市民に投げかけるかのような態度が感じられました。
「心」の場所を見つけ直すのに鏡という「身体」だけを映す鏡が力を発揮するというのは、一見すると逆説的に見えるかもしれません。しかし、絶望的な事態に遭遇し、生が脅かされ、それでも生きているその具体的な身体に再び遭遇するということほど安堵をもたらすものは無いのではないでしょうか。そのとき、「ひとりじゃない!」と居丈高に叫ばれるたびに孤独や疎外感に追いやられていた心は、ひとまず「ひとりでも、そんなことは問題ではない」と心の場所を取り戻せるのではないか―――。
そのメッセージを前提として、歌をより"届く"ものにすべく、切実な状況が中盤以降で描かれます。
私の世代の名前は何ですか
大事なものが大事だった事
赤く腫れた目 掠れた声
ああ ああ
映った人は知っているよ
まだ見える事 まだ聞こえる事
涙が出る事 お腹が減る事
ああ ああ
映った人が守ったよ
あなたにどれだけ憎まれようと
疑われようと 遠ざけられようと
ああ ああ
映った人は味方だよ
大事な人が大事だった事
言いたかった事 言えなかった事
ああ ああ
映った人と一緒にいるよ
ここで、BUMP OF CHICKENを聴いてきた方なら、どのモチーフもこれまで彼らが歌ってきたこととなんら変わりのないものであると気付くと思います。supernovaに描かれた喪失と出会い、R.I.Pに言い含められていた死者への負い目、お腹が空いても歌い続けたガラスの猫…。何もかも失ってもその身体はまだそこにあることを、非常事態だから、と急に畏まったりはせず、軸をぶれさせることなく伝わることのみが願われています。
また、上記までの部分の詞において、アーティストからの提案や励ましの言葉のようなものはなく、ただただ鏡をのぞきこんだ彼を浮かび上がらせる情景を描いているのみです。これまでも、滅多に「一緒に〜しよう」とは歌ってこなかった彼らであり、そのスタンスは一切崩れていません。
ミュージシャンや「一般の市民」の活動において、増田の兄も言う様に、何を歌っても活動してもそれはあくまで安全地帯からのものであり、具体的な被害を体験しえていないという点で決定的に断絶しているという事実は厳然としてあります。それでも、ずっと生や喪失について歌い続け、他者に歌うという事の意味をその都度考え続けてきた彼らならば、押しつけがましさなくこの歌を届けることが出来るのではないかと信じています。
ただ一つ、彼らの勝手な願いが込められた部分があるとすれば、楽曲の一番最後の詞、
映った人に 微笑むよ
という箇所でしょう。
「smile」が多くの人の力になることを祈って。
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